なんか作る&なんかする

万年寝太郎は一攫千金の夢を見る

Qiitaの良し悪しとおばちゃん

 ちょっと調べると、Qiitaのサイトはばんばんあたる。内容の精度は自分で判断するしかない。それは個人のサイトでも同じだ。

 Qiitaには、デザインからしてもちろん、あるいていどのフォーマットができている。そのフォーマットがあるゆえに、Qiitaを好み、頼りにしている人は多いかも知れない。
 共通化されているが故に、良し悪しの判断もしにくくなる。
 個人のあてになるサイトは、そもそも、見やすく書かれている。何をしたかが淡々と書かれている。これは実はすごく大変だ。自分でやってみればわかるが、unixの作業など、コマンドうちこんでパーッとやってしまうので、ある環境へ至るために何をやったかなど、スカーっと忘れてしまうのだ。動けばまいっか。よくない。
 ちゃんと記録して、何をしたからこうなった、とちゃんと書き表せる人は、もうそれだけである程度のスキルのレベルをいろいろクリアしているのである。

 デザインは好みもある。見た目の配色が自分とあわない場合は、やはりあまり参考にならない。そういうの大事だ。宗教戦争じみているけど、エディタがどれとか、配色はどうするとか、だいじでしょう。


 Qiitaは描き手の個性が残らないので、情報もあまり頭に残りにくい。名をはせたいなら? 生きた証を残したいなら、ブログで書け!。
 いやそれ、そういうんじゃなくて、情報を、集めて共有することが大事なんだよ! そう、そこも分かるけどね。なんだろうねえ、それだとやはり企業がやっている技術ブログのほうがちょっとうまかったりするんだよな。学生とか趣味の人は、なかなかすべてをそこにはかかない。その必要性もないから。
 スタックオーバーフローのように、具体的なQAは、集まっているとすごくありがたいんだが。


 そんなわけで、検索条件からQiitaをのぞいたりする。まあ単に自分が古いインターネット文化になじみがあるからだけかもしれないけど。へんなこだわりが、我ながら面白いなと思った。